일본어 작문 숙제

잡동사니 2010. 7. 31. 13:30
韓国人なら誰も一言や二言の英語ができる。それは中学校から高校までの6年間英語を習ってきたおかげだ。この6年に大学の4年間を加えれば大学を卒業した韓国人が英語に投資した時間は、なんと、10年に近づいている。しかし現実は、大体の韓国人は「英語恐怖症」とまで言えるほど、英語で話すのが苦手である。これは一体どういう訳だろう。

この不思議な現状の原因は学校で行われている絵小河の教え方が間違えている事に基づいているのだ。「単語や文法を頭に押し込むだけで英語が教えられる。」という主義で教師も生徒も一生懸命勉強しているのが現実だ。そもそも言語とはそういう物ではないはずなのに。

20世紀の前半、ルートヴィヒウィトゲンシュタインという哲学者がいた。彼による革命的な著作である「哲学探究」のよると、言葉や単語は現実に実在する物を代表するのではなく、それが使われている文脈の流れの中でそれぞれの機能を果たす物である。

つまり、辞書に載せてある単語や文法を覚える事と、実際にその言語を分かって話す事は別だという物だ。「OO語で話せる。」と言えるためには、いろいろな言葉をどのような状況で、どうやって使えばいいのかをしっかりと身に付けるべきだろう。

例えば、日本語を習っている韓国人が、残念なごとに、よくする間違えた日本語の中で下記のパタンがある。

    ー。賞味期限が終わった。ーー>賞味期限が切れた
    ー。文句をする。ーー>文句を言う

上記の例で見つかるミスは、明らかに、単語の辞書的の定義だけを覚え、それを韓国語と混ざってしまったせいで犯されるミスである。言葉の使い方を承知している人なら、あのようなミスはしないはずだ。

もしすると、50年も前にオーストリアの哲学者が認識した事を、この国の教育者たちが受け入れ、外国語の正しい教え方をしていれば、今の韓国で溢れている「コングリシ」という名の間違えた日本語は生じなかったのではないだろうか。

今、これを読んでいる方々は、確かに英語はもう習い直すのが手遅れだと思い込んでいるかもしれないものの、今でも決して遅れてはいないから、改めた、新しい習い方を試して英語の勉強を始め直してみればどうでしょうか。


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